英国の植民地であった香港が、中国の中に正式に組み入れられた日が1997年7月1日です。あれから20年目の節目を今年の7月1日に香港は迎える事になります。
20年前の返還日、当時の香港が中国から与えられた権利と言うものは(社会主義の中国と異なる)「高度な自治権」の維持の確約でした。香港の憲法に当たる法律と言うのは「基本法」(Basic Law)と言われ、これは従来、中国本土内では制約されるような言論・報道・出版の自由、また集会やデモの自由、信仰の自由などがそれらに当たり、且つ、明確に記述されています。
こうして香港は社会主義の中国とは異なる「一国二制度」が認められたはずではありましたが、最近では徐々に中国政府からの締め付けが強まって来ているのも事実であり、その制度自体が揺らぎ始めているのを肌で感じるのか(?)、香港住民の対中感情は悪化の一途を辿っているとも言われております。
振り返って見ますと中国と香港との間に共通認識として樹立された「一国二制度」と言うシステムは双方にとってメリットがあるものでした。香港は香港で返還前の英国流をそのまま使用できましたし、中国は中国で、西洋の社会システムやビジネスシステムを労せずして獲得し、自分のものとして吸収する事が出来たからです。しかしながら両者の蜜月に暗雲が立ち込める形となったのは、2017年の行政長官(香港のトップ)選挙を巡って14年8月、中国政府が自由な立候補を阻む措置を決定した事です。
この中国の決定(全人民)から出た、歪(いびつ)な強権発行に激怒した香港市民達(特に学生達)が、"民主化"を求めて都市の中心部に座り込む「雨傘革命」は今でも生々しい記憶も呼び起こされます。 また翌15年10月から12月に掛けては、中国共産党批判や指導者のスキャンダルなど本土で販売できない書籍を扱ってきた「銅鑼湾書店」親会社の出版社の株主ら5人が中国当局に連行されるなどして相次いで失跡すると言うスキャンダラスな事件も発生しました。
これは「言論の自由」が明確に中央(北京)から脅かされた事例として、香港社会に大きな衝撃を与える形となったのです。
更に昨年(2016年)9月の議会選挙(定数70)には「雨傘運動」後に台頭した香港独立を視野に入れる「本土派」議員2人が当選したにも拘らず、香港政府は就任宣誓時に中国を侮蔑する発言などをしたとして、議員資格取り消しの司法審査を高等法院(高裁)に請求。2人は最終的に議員資格を取り消される帰結となってしまっています。
そんな中で迎えるこの7月1日、香港では返還20周年記念式典に加え、3月の行政長官選挙で当選した林鄭月娥氏の就任式が行われます。この式典には主権国である中国(共産党)のトップである習近平氏が訪問する事が決定しており、更なる中国色へのシフトを国内外にアピールするものと見られています。
こんな動きに対して行われた最新の世論調査では「返還後の20年で香港の社会状況が悪くなった」とする回答が実に63%まで上昇し(香港を含む)世界16カ国・地域の好感度調査などでも1位台湾、2位カナダ、3位シンガポール、4位日本などの順の中で中国は最下位となってしまったとの事です。またこうした事に駄目押し的なものとなったのは、中国に対して「いい印象を持っている」との回答を行なった香港住民は僅か1%に過ぎなかったとのことですから戴けません。
返還から20年、これまでの経緯の中で香港自体が金融センターの窓口的役割から製造拠点誘致の為の役割にシフトして来た事は香港の優秀さを表すものでもありました。またこの役割をしっかりと行う事で香港はその「機能」を(中国だけでなく)世界に向けて発信出来ていた訳ですが、この先の展開と言う事を鑑みた場合、ひょっとしたら金融機能を中心とした返還前の役割と言うものに"回帰"して行く形になるかも知れません。