1998年7月1日午前0時の時報と共に、香港はそれまでの香港から「中華人民共和国香港特別行政区」と言う名で再出発を果たしました。
昨年は返還20周年と言うこともあり、中国の国家主席である習近平氏が香港を訪れ高らかに「中国内香港」を宣言した訳ですが、これはあくまで表面的なものであり、ないじつとしてはこの20年での両者の「統合」のスピードと言うものは正に猛烈な勢いで進められて来たと言っても言い過ぎではないでしょう。
香港の"背骨"となるものは言うまでもなく法律、所謂「基本法(Basic Law)」と言われるものです。英国法をベースとして作成されたこの制度は (大義名分として)返還から50年間は不変とされている為、香港は独自でアジアの一大ビジネスセンターとしての機能を標榜しそれに相応しいサービスを提供して参りました。
例えば香港の金融システムは中国のそれとは完全に一線を画して分離しているものであり、またここで使用される通貨は中国本土の人民元ではなく、香港のオリジナリティーを表す香港ドルをベースとして運営されていたりするところも良い一例です。
これに加えて香港ドルは米ドルとの連動相場制(ペッグ制)を採用することで自由貿易港として(中国とは)全く違う独立した関税地域としての機能も維持しています。
しかしながら上述の通り、両者の関係は以前にも増してとても緊密になって来ているのは明白であり、今では(香港にとって)中国は切っても切れない(或いは切られてはならない)相手先と言っても良いでしょう。
但し、両者の力関係は刻々と変化して来ました。発足当時、特に返還直後から数年の間は(中国は)香港に"教えを乞う"立場にあり、西側経済の基幹コンセプトである「資本主義」を吸収する為に交流を推し進める中、実務経験を積み上げることに腐心しました。
これは当時の中国の立場として当然のスタンスです。そしてその立ち位置は2002年に中国が世界貿易機関(WTO)への加盟を果たした時から一気に加速、(両者の関係は)抜本的に変わって行くようになって行きます。
その事例としては、先ず2003年の"CEPA"と呼ばれる経済連携協定の締結があり、その流れで2004年の一部香港製品に対する関税が廃止されました。
また、このCEPAに前後する形で2003年1月には深セン通関の一部が24時間開放。更には2007年に深セン-香港間の幹線道路の開通(深港西部通道ー九広鉄路落馬洲線)や中国人の香港への個人旅行が部分的に開放、更に2004年には香港での人民元預金が可能となったことをキッカケに2007年にはこれまた人民元建ての債券が"香港で"発行されることを中国政府が許可する等、こうした(世界最大規模の市場を抱える)中国のイニシアチブを持ったプランに香港は乗っかる形でアジア最大の経済圏としての一体化が行われて来たことは記憶に新しい方々もいらっしゃることでしょう。
そして、こうした様々なプロジェクト達の中でも一際目立つものというのが、2009年に着工した「香港・珠海・マカオ大橋」と言うものです。
この橋の名前として使用される形となった各地域は、中国の人口ベースでは僅か1%に満たないにもかかわらず、国内総生産(GDP)上の数値では何と12%も弾き出している一大経済圏のひとつであり、これらの地域がこの橋によって1つに繋がることで創出される相乗効果は甚大です。
この橋がとうとう今年春に竣工し年内稼働の予定とのことですからこれは今後の香港の経済にとっても、大きなプラスファクターとなるのは明らかなものとなることは間違い有りません。
以上、香港の立ち位置は結果として今後、中国に飲み込まれる(?)形となって行く感は否めませんが、仮にそうであったとしても、これまで香港が培った知見やシステムは中国国内では燦然と輝くものであり、新しい形での"突出"が生まれて来る土壌が内在していることは確かなものです。
ここから10年、果たしてどのように香港が変わって行くのでしょうか?