香港における『映画』の位置付けは市民の間にとても"特別なもの"として捉えられています。何故ならば、当地には古くから多くの映画会社が存在しており、また、その会社が育てたスター達もこの『映画』と言う手段を利用することによって大きな成功を手にしました。故に、香港人にとって『映画』と言うものは、単なる娯楽の範疇を超えるだけでなく、自分達の誇りやアイデンティティーを描写するひとつの芸術となって行ったのです。
今回のBlogのテーマはそんな香港映画の歴史やスター&監督達の変遷と言うことに触れて行く訳ですが、調べれば調べるほどその多様性には驚くばかりです。
1.1920年代〜1940年代:香港映画の黎明期
◉1920年代初頭に香港で最初の映画会社である「ショウ・ブラザーズ」が創設・誕生し、香港映画の基盤がここで構築されます。
◉作品の特徴としては主に娯楽映画や歌舞伎劇をベースとしたもので構成される傾向が強くありました。
2.1950年代〜1960年代:香港映画の成長期
◉香港映画は独自のスタイルを形成し、アジア圏全域で人気を博して行く形になります。
◉武侠ドラマ、また宗教映画、メロドラマ等が主流となって行き、レイモンド・チャンやマギー・チャンと言ったスターがこの段階で登場して行くことになります。
3.1970年代〜1980年代:香港映画の国際的な成功期
◉アクション映画やカンフー映画が隆盛を迎えることになります.皆さんもご存知のスターであるブルース・リーやジャッキー・チェン、チョウ・ユンファと言ったスター俳優達が次から次へとキラ星の如く現れ、香港映画が世界中を観衆を魅了した時代です。
◉映画会社の名もこのタイミングでその多くが知られることになりました。上述の「ショウ・ブラザーズ」は言うに及ばず、1970年に創業され、ブルース・リーの代表作である『燃えよドラゴン』を製作した「ゴールデン・ハーベスト」もカンフー映画などを主体として人気を博した映画は会社です。
4.1990年代〜2000年代:香港映画の新潮期
◉監督として傑出した才能が生まれた時代がこの時期の特徴のひとつです。例えばジョン・ウー監督やウォン・カーウアイ監督と言った名匠は香港だけに留まらず、ハリウッドなどでもメガホンを取れるほどその力量を評価されています。特にジョン・ウー監督はジャン=クロード・ヴァン・ダム主演映画『Hardarget』、
またジョン・トラボルタ&ニコラス・ケイジ共演作『FACE/Off』、或いはトム・クルーズ主演の『ミッション・インポッシブル』シリーズと言った有名作品でも監督を行ない成功を収めています。
5.〜現在まで:香港映画の多様化と言論制限の過度期
◉ジャンルの多様化が顕著になったのがこの時期のひとつの代表的な側面と言えます。これまでのアクションやカンフーと言う領域だけでなく、ロマンス、コメディー、ドラマ、サスペンス等々、多様なテーマを取り扱うことになって来ています。
◉しかしながら、中国本土との政治的な衝突が顕著になった時期以降、北京による政治的統制の要望を香港は従う形(=「香港国家安全維持法」を第一と捉えるポリシー)を優先することとなり、以降、政治的なテーマを取扱うものであったり大衆を扇動する内容のものは事実上"根絶"となっています。