香港の日本人社会は歴史的に日中間の交流や貿易をベースとした理由で発展して参りました。
特に近代史の中でそれは顕著となり、以下で説明する代表的な項目を契機として日本人社会(&コミュニティー)は大きな成長を遂げて来ることになった訳ですが、今回のBlogではそうした事象を10年毎に纏めることで、我々の先人達や現在の状況と言うものをより分かり易く解説して行くこととします。
半世紀に渡って初期の段階では主に商人や外交を司る者達などが日本から香港に移住することで、その後そのルートを利用することを求める企業の進出が構築され、また貿易促進のベースと発展しました。
1.1970年代
この時代は日本と香港の間で貿易事業が活発化し、それを理由として日本企業の本格的な香港進出がスタートします。それに連動する形で日本からの駐在者(&家族)が増加すると、日本の食料品店の開店や日本人学校などの創設される等、コミュニティーとしての形成具合いがより顕著になります。またこの時期から香港と日本の間で文化交流も盛んになり、結果、日本の音楽や映画、またファッションなどが香港で人気を博すことになりました。この10年は香港における日本の影響力が市民に浸透し始めた時代と言えるでしょう。
2.1980年代
80年代と言う時代での日本人社会は、徐々に日本人が集まるコミュニティーや居住地域が形成されることが先ず最初に来ます。また既に70年代から目立って来ていた日本への関心もより大きくなり、よりカテゴリーが広範になる兆しが明らかになりました。例えば日本のアニメや漫画なども先の邦画から広がった裾野の一部であり、香港の若者の間でも日本や日本語、或いは上述の文化により興味を持つ者が増えた時代です。他の領域では日系企業の増加によって香港における日本人の労働者の数が一層伸張したことを加えて起きます。
3.1990年代
90年代の香港は、国際金融センターとしての地位を確固たるものとした時代であったことは間違いありません。相応にビジネスハブとしての重要性も年々増加する貿易・物流量からより重要となったことや1997年の中国返還と言う歴史的な出来事前後の特需に湧くことになり、大きな転換期を迎える言となります。日本人社会に目を移すとビジネスの拡大に伴なって日本人コミュニティーも大型化したと言う事もあり、日本食レストランやスーパーマーケットが増加傾向を迎え、名実ともに充実度が増して行く事になります。
4.2000年代
香港は2000年からの10年、中国WTO加盟などの環境要素的なブーストもあり、ピークとも形容出来る大躍進を迎えることになります。何故なら香港の役割と言うのは中国と世界を繋ぐ"架け橋"的なものとなったからであり、日本からも香港に統括本部を置いて大手自動車会社(トヨタやホンダ)の中国進出が本格的になる等、かつてない規模の拡大化が促進されました。従ってこの時期の日本人社会と言うのは言わば"最盛期"へと突入したことを意味し中国―香港間の行き来も過去最大規模にまで膨れ上がることになります。
5.2010年代から現在まで
先の10年を最盛期と言うのであれば、2010年から現在までの期間と言うのは"ピークアウト"(下降線)の時代へと変化したことを挙げなくてはならないでしょう。何故ならそれは2011年に発生したリーマンショックによるクレジットクランチや雨傘運動などから引き摺る民主化デモの影響、また中国による香港国家安全維持法の導入、そして新型コロナウィルス感染症の発生と言うような多くのマイナス要素が鏤められることになったからです。日本人社会でもこうした様々な要因には負の影響を及ぼし、総体的には日本企業の撤退や事業の縮小、廃業、更にはまそれらに付随して駐在者(及び家族)の帰国等々...苦しい時期が到来していると言うのは事実でしょう。
以上、各時代における香港の状況の概要と日本人社会の立ち位置についてご案内させて頂きました。さて、2020年代からの2030年までの10年、一体この2つはどのようになって行くものでしょうか?
皆様の予想は如何ですか?